新年明けましておめでとうございます。
旧年中は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございました。
冒頭昨年元日に発生した能登半島地震、また9月に発生した集中豪雨で輪島も珠洲も大変な被害で未だ復旧の兆しが見えない中、被災された皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。また救助・復旧に携わって下さっている皆さまに深く敬意を表します。私たちの地域でもいつ起きるかもしれない南海トラフ地震に備え、私たち自身が防災準備に備えることがお客様の企業や生命をお守りする第一歩になると考え日々取り組んでおります。
そんな中で始動した2025年・・・
今年の干支は乙巳(きのとみ)です。乙は植物が紆余曲折を経ながら伸びるという意味で、巳は皮を脱ぎ新しくする蛇を意味し再生と変化を象徴しています。
今までの成長から更に脱皮することでさらに変化し成長していく年としていきます。
2025年のスローガンは・・・
「己巳の年脱皮をするが如く柔軟な心を持ち新しい経験や学びを通して成長していく」です。
引き続き、社内でも笑いの絶えない元気一杯の企業風土を構築して参ります。今年も社員一同決意も新たに、より一層精進を重ねて参る所存でございますので今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。
2025年1月6日
有限会社近畿総合保険
代表取締役 伊豆周久
専務取締役 平島慶一
私たちはお客様の安心のために、保険業を通じて貢献し、お客様や地域社会と共に歩み、
信頼され、ご満足いただくことを喜びとして発展する会社を目指します
経営理念に沿って、社員一同、保険代理業からの更なる飛躍を目指します。
お客様との信頼関係をさらに深め、時代の変化に応じ保険業を通じて、経営支援業や生活支援業に変化しお客様をいろんな角度から応援し、ご満足をいただき益々発展する会社を目指していきます。
| 社名 | 有限会社 近畿総合保険 |
|---|---|
| 代表 | 伊豆周久(いず ちかひさ) |
| 所在地 | 〒578-0931 東大阪市花園東町2-11-15-3F |
| TEL / FAX | 072-962-0910 / 072-962-0726 |
| 営業時間 | 9:00〜17:00 |
| 定休日 | 日祝日、年末年始の休業日 |
| 設立 | 2003年7月(平成15年) |
| 創業 | 1969年4月(昭和44年) |
| 資本金 | 300万円 |
| 従業員 | 5名 |
| 事業内容 | 生命保険・損害保険代理業 損保1社・生保2社乗合 |
| 1969年(昭和44年) | 先代伊豆孝司が東大阪市花園本町で損害保険代理店「近畿損害保険事務所」を開設 |
|---|---|
| 1996年(平成8年) | 伊豆周久が12年勤務した日新火災を退社し、「近畿損害保険事務所」に入所 |
| 1999年(平成11年) | 先代伊豆孝司逝去。伊豆周久が「近畿損害保険事務所」を継承し、36歳で所長就任。 屋号を「近畿総合保険事務所」に変更し、生命保険代理店登録開始 |
| 2003年(平成15年) | 有限会社近畿総合保険を設立し法人化 |
| 2005年(平成17年) | 株式会社日新保険センターを吸収合併 事務所を花園ラグビー場のある東大阪市花園東町 近鉄東花園駅前に移転 |
| 2007年(平成19年) | 稲川益美入社 |
| 2008年(平成20年) | 生命保険来店型ショップ「保険クリニック東大阪店」併設 |
| 2011年(平成23年) | 紆余曲折の末保険クリニック撤退 |
| 2019年(令和元年) | 創業50周年 |
| 2021年(令和3年) | 平島慶一入社 |
| 2022年(令和4年) | 坪山眞子氏委託型代理店追加 |
| 2023年(令和5年) | 法人設立20周年 |
| 2024年(令和6年) | 尾崎清氏委託型代理店追加 |
創業者:伊豆 孝司
| 幼少期 | 大阪市城東区の今里商店街で定食屋を営む両親のもとに生まれる。小学生の頃より出前の配達を手伝う。年越しそばの配達で同級生の家に配達するのが屈辱で、「跡は継がない」と心に決めて過ごす。 |
|---|---|
| 高校時代 | 明星高校野球部でキャプテン・3番ショートとして選抜甲子園大会に出場。初打席でのクリーンヒットとアルプススタンドの歓声が、その後の人生を支える原点となる。 |
| 卒業後 | 日新火災に就職し、営業職としてキャリアをスタート。24歳で社内結婚し、東大阪市花園本町に新居を構える。25歳で長男周久(ちかひさ)が誕生。 |
| 1970年 | 32歳で代理店として独立。「近畿損害保険事務所」を設立。 高度成長期の中、損害保険の販売で業績を順調に伸ばす。息子の周久も自身と同じ明星高校野球部へ。大学卒業後、同じ日新火災に就職させる。 |
| 晩年 | 50歳を過ぎて糖尿病を発症。58歳時には糖尿性網膜症により失明という大きな試練に直面する。この失明がきっかけとなり、1996年、日新火災に勤務していた長男・周久に後継を託す決断をする。 |
| 1999年 | 胆管がんを患い、享年62歳で他界。その「既存のお客様とより深い関係性を築くことを第一とする」という営業スタイルは、今も近畿総合保険の中に生き続けています。 |
二代目:伊豆 周久(現代表)
| 1984年 | 父と同じく日新火災に入社し、12年間勤務。仕事への自信がつき、「さあこれから」という矢先に、失明した父のサポートのため帰郷を決意。 |
|---|---|
| 1996年 | 34歳で、近畿損害保険事務所に入所。 失明した父を助手席に乗せ、お客様への引継ぎと挨拶回りに奔走する日々が始まる。当初は道を覚えるのに苦労した。父から引き継いだお客さまの多くが今でも弊社とお付き合いをしてくださっているが、それは父が雲の上で一緒になって営業をしてくれているからだと思う。 |
| 1997年 | 父の遺言であった「義理・人情・プレゼントの生命保険販売には手を出すな」に反し、「損害保険だけではお客様を守りきれない」という強い想いから生命保険代理店業に着手(アリコジャパン販売開始)。 |
| 1999年 | 父の逝去に伴い、37歳で近畿損害保険事務所の所長に就任。 |
| 2003年 | 「有限会社 近畿総合保険」を設立し、代表取締役に就任。 |
| 2007年 | 「保険ショップ」の先駆けとして「保険クリニック 東大阪店」を開業。新たなチャレンジだったが、価格競争に陥り、お客様との深い人間関係が築けない現実に直面する。 3年間の奮闘の末、保険ショップの閉店を決意。この保険ショップでの経験から初心である、「既存のお客様との関係性を深め、そこから裾野を広げる」という現在の営業スタイルへの回帰と強化に至る。 その後、リーマンショックなど幾多の浮き沈みを乗り越え、お客様に支えられながら成長を続ける。 |
| 2021年 | 59歳で、次の世代への継承が最大のテーマと考え、後継者候補として平島慶一氏(当時37歳、前職 日新火災海上保険)が入社。 「これからの30年は全く違う。たくさんチャレンジし、たくさん失敗してほしい」と次世代への期待を込める。 |
| 現在 | 代理店業界の高齢化が進む中、「跡継ぎがいない代理店、廃業を考えている代理店の信頼される受け皿となる」ことを目指し、同業他社との合流も進めている。 |
三代目候補:平島 慶一(現専務取締役)の入社経緯
日新火災に勤務していた平島は、仕事で多忙を極める中、父の病や逝去、第二子の誕生という人生の大きな転機を経験。
関西帰任後、担当代理店として伊豆社長と出会う。
伊豆社長の「代理店の仕事はいいぞ」「平島みたいな若い人が来てくれたら」という温かい誘いに、当初は冗談かと思っていた。
しかし、包み隠さず会社の歴史や決算まで見せてくれるそのオーラと人柄に次第に真剣に考えるように。
「一度きりの人生、チャレンジしてみよう」と決断できたのは、他ならぬ伊豆社長だったから。
2021年4月(37歳)、近畿総合保険に入社。
お客様への「守り」のバトンは、今、次なる世代へと渡されています。